国民の4人に1人、300万人の大虐殺。カンボジアのキリングフィールド訪問

慰霊塔

カンボジア、プノンペンにあるキリングフィールドに行ってきました。ここではポルポト政権下における約300万人の大虐殺、国民の4人に1人が処刑されることとなった壮絶な過去について知ることができます。

当時の様子が資料として残されており公開されているキリングフィールドはカンボジア・プノンペンにあります。ここでは音声ガイド(日本語あり)を聞きながら当時の大虐殺がなぜ起こったのか、どの様な様子がだったのかを詳細に知ることができます。

キリングフィールド

僕はカンボジアの大虐殺についてほとんど知らないまま行きましたが、あまりの悲惨な出来事に言葉を失いました。こんなとこがほんの40年前に起こっていたなんて…。映画にもなっているようですね。実際に行ってみると多くの外国人が真剣な面持ちで周っていました。

当時の情勢

当時の世界情勢は冷戦時代、そしてお隣のベトナムはベトナム戦争真っ只中。そんな中フランスから独立を果たしたカンボジアが採った方針は社会主義。当時のシアヌーク国王は、ポルポトを含む国内の共産党(クメール・ルージュ)を弾圧していきます。その後内部のクーデターやアメリカ軍率いるベトナムによる爆撃などがあり、国民の支持が徐々にクメール・ルージュに傾いていきます。そしてついに1975年、ポルポト率いるクメール・ルージュが首都プノンペンを制圧することにより政権を獲ることになります。それがカンボジアの悪夢の始まりでした。

原始共産主義

ポルポトの思想は「原始共産主義」という、共産主義の中でも過激なものでした。簡単に言うと、「差別や階級などがない狩猟採集時代こそが平和で平等な世界だ!」ということ。そのために知識人を根絶やしにしていきます。知識があるから差別や階級が生まれる、そんなやつらはいらない。そんな思想の元、農村部の若者をとりたて思想を教え込み、知識階級の人々を虐殺していきます。

キリングフィールド

処刑上跡

キリングフィールドとは大虐殺時に使われていた処刑場のことで、カンボジア内に数百カ所あります。そこに毎日の様に罪のない人達が処刑されるとも知らずに連れてこられていました。

ポルポトは「農民こそ英雄」として、医者や教師、技術者などの知識階級の人々を処刑していきました。また、都市に住んでいる人達をはじめとして、農村部から都市に逃げてきたというだけの人達にも弾圧は進んでいきます。

都市部に住んでいたものたちは、「食料の収穫量を3倍増やせ」、と言われ今までやったことのない農作業を強制されました。ろくな食料を与えられないまま夜明けから日が沈むまでの辛い労働に耐えられず大勢の方が亡くなったようです。

そして徐々に、「手が柔らかい人」「メガネをかけている人」「本を読んでいる人」というだけで知識人とみなされ処刑されていきました。「罪のない人間を誤って殺すのは、敵を誤って殺し損ねるよりもましである」。ひどい思想です。無実の人々が日々キリングフィールドに連れて行かれ、CIAのスパイだった、などの嘘の証言を無理やりされて処刑されていったそうです。

赤ん坊が処刑された木

また、ポルポト政権は「雑草を取り除くには根こそぎ」というスローガンのもと、処刑する際はその家族を皆殺しにしています。赤ん坊に至るまで。キリングフィールドの中には赤ん坊が頭を打ち付けられ処刑されていった木が今も残っています。

サトウヤシの木

当時は物資が不足していたため、処刑は銃ではなくサトウヤシの木(上写真)のギザギザの皮で喉を切られたそうです。また、斧などそこら辺にある農具なども使われていました。その他にも、DDTと呼ばれる殺虫剤を食料に混ぜるなどもしていたようです。人は飢えるとなんでも食べずにはいられない。これは腐臭を抑える役割もあったとのことです。

キリングフィールド慰霊塔

キリングフィールド中央部に建てられた慰霊塔には数多くの遺骨が納められています。しかし全てをここに入れるのは難しいため、今もなお地中に埋まっている遺体も多いようです。

慰霊塔

キリングフィールドを訪れてみて

キリングフィールドを訪れてみて思ったことはひどいの一言。大虐殺と呼ばれるものは歴史の中で世界各国であったし、映画やテレビ、本などで見たものもいくつかある。でもやっぱりどこか違う世界の話であまり真剣に考えられていなかったんだなぁと実感しました。

今回の訪問で大虐殺がどういったものなのか、同じ国の同胞同士で争うとこの悲劇、人の命の軽さや重さ、いろいろと考えさせられました。

実際に訪問すると、とても重い話しが多く辛いです。楽しいところでは決してない。でも、訪れてみて良かったと思います。

キリングフィールドが整備され残されているの目的の一つとして、この悲劇を後世に伝えていくことがあるそうです。歴史は繰り返します。でもみんながこの悲劇の出来事を覚えていれば防げるはずです。大虐殺はいつ、どこででも起こりうる、でも絶対に起こしてはならない。

カンボジアに行った際は訪れてほしい場所です。

コメント

  1. ここんとうざい より:

    こんにちは。

    ボクもここには行ったことがあります。

    だから、「実際に訪問すると、とても重い話しが多く辛いです。楽しいところでは決してない。でも、訪れてみて良かったと思います」という思いには賛成です。

    ただ、気になることがあったので教えてくだいさ。

    ・約300万人の大虐殺、何の罪もない国民の4人に1人が処刑されることとなった

    ・差別や階級などがない狩猟採集時代こそが平和で平等な世界だ!」ということ

    この2つの具体的な根拠は何ですか?
    何にもとづいて、こう書いたのですか?

    では、これからも体に気をつけて良い旅を!!

    1. do より:

      ここんとうざいさん、こんにちは。コメントありがとうございます!
      指摘いただいた点の根拠ですが、

      ・約300万人の大虐殺、何の罪もない国民の4人に1人が処刑されることとなった
      →数字は音声ガイドで言っていたものを記載しています。何の罪もない人だけではないですね。そちらは修正しました。

      ・差別や階級などがない狩猟採集時代こそが平和で平等な世界だ!」ということ
      →こちらはポルポトの思想というよりは「原始共産主義」の一般的な見解を調べて、私なりに簡単に記載したものとなります。

      変なところがありましたらご教授おねがいします!

  2. ここんとうざい より:

    問い詰めるような聞き方で失礼こきました。

    ポルポトの虐殺については、今では「300万人説」は否定されています。

    「ベトナムが支援するヘン・サムリン政権は1975年から1979年の間の死者数を300万人とした(これはのちに下方修正された)。大学・カンボジア人大量虐殺プロジェクトは170万人、アムネスティ・インターナショナルは140万人、アメリカ国務省は120万人と推計する(ウィキペディア)」

    「(ポル・ポト〈革命〉史 山田寛)」では、150万人としています。

    多くのブログで300万人と書いてあったから、みんなはどこからその数字を持って来たのかな?と不思議に思っていました。
    たぶん、そのガイドですね。

    「原始共産主義」は、1つの比喩として「原始」と書いてあるだけだと思います。
    資本主義→社会主義→共産主義と社会が発展していって、その最後の発達段階として通貨や私有物がない共産主義社会があるのだと思います。
    そんな社会を原始時代に例えて「原始共産主義」と表現したのだけど、いつのまにか「原始」という言葉が1人歩きして「原始時代に戻る」というような錯覚をもつにいたったのではないかと思います。
    この原始共産主義社会という言葉も、多くんブログで見かけたので、出所はどだろう?と思っていました。

    これもガイドかもしれませんね。

    では、良い旅を!

    1. do より:

      詳しくありがとうございます!

      >ポルポトの虐殺については、今では「300万人説」は否定されています。

      そうだったんですね。音声ガイドがいつ作られたのかはわからないですが、最新の情報にアップデートはされてなさそう、もしくは悲惨さを伝えるという意味で多少大げさに言っているのかもしれないですね。

      原始共産主義についてはそういう捉え方もあるんですね。wikipediaを見た感じだと、狩猟採集社会への回帰を主張しているのかと考えていました。
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%A7%8B%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%88%B6

      また何かありましたらお願いします!

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